無理やり記事を書こうと思ったけどなんか無理だったという記事

なんだか吐き出さないと気持ちが悪いような感じがしたので、なにか無益な長文でもこしらえようとキーボードに手を添えつらつらとあることについて書こうかなと思ったのだけれど、わざわざブログに記すほどの文量などなく、ただただ一言の感想を無駄に引き伸ばしてどこか一仕事終えたような錯覚に酔いたいだけなのだと気付いて、仕方がないので私は、もういっそ自身の日々になにといってないということについて書こうかなという、MP1でマダンテをうつような愚策をとることにした。

 

実際のところ、近ごろの私に起きた出来事は風邪に罹り、どうぶつの森の住人になり、呼吸をしていたぐらいのことである。

いや、本当のことを言えば、さいわいなことに愉しいことや嬉しいことも十二分にあったのだけれど、私はそれを相殺するにあまりある見えざる悪魔か天使の手が視界を塞いで「だーれだ」なんて無邪気にうそぶくことを看過できないのだ。

ゆえに、こんな実質ゼロ円みたいな、文量だけ増やしたすかすかの黒い線をキーボードで打ち込んでいるわけである。

自分で書いていて自分が理解に到達してない。

 

どうしてこんな気分になってしまうのだろうか、などと自問すると、既読スルーされるので、私は私に訊くことにつかれたのかもしれないと思う。そういえば疲れたんだ。あるいは憑かれたのかもしれないが、何にせよこのままでは枯れて、せいぜい大地の糧になればよいのだが、などと大して考えてもない言葉遊びでお茶を濁すことで引き伸ばしに成功していると呼べればまだ救われるのかもしれないし、あるいはそうではないかもしれないし、「あるいは」という言葉は僕の想像力を欠如させることに貢献し過ぎなのではとも思う。

 

ワットエバーなのだ。斜に構えたいのだ。私はクォータービューで斜に構えたいだけだ。斜に構えていることを見透かされないように注意深く斜に構えたいのだ。構えたいというか、構ってほしいだけだ。この記事はたぶん落書きみたいなもので、だから大事にしまっておきたい気持ちもあるような、そんな落書きなのかもしれないなと、子供の頃にメモ帳に模写したポケモンたちはどこへいっただろうかなんて考えて、もう昔のことばかり振り返って回って地球の自転よりはやく思考だけがめぐって、かなしいな、などと率直に言いたい気持ちがわいてきて、なんだかそれだけなのが、それだけなのが、とても大切なことなので何回でも言いたいような気がして、別に私は気がふれたわけでもなければ、ふれたふりをしようなんてことも思ってないのだけれど、ふったりふられたりする雨にはうんざりだけども、やっぱり撮りもしない心の自撮りの自分は斜に構えているのだろう。

 

ここまできて、なかなかにこじらせている文章をぐだぐだと書きなぐれたと自負している。

こういうものは時間を経て消去したくなる頃にアカウントのパスワードを忘却して不本意にもネットのドブを漂っているのがちょうどよくて、たまにかさぶたをめくるような気持ちで、覗いたりして悶えられる未来があるならそれはこの上ない幸運なのだろうな、とこの辺であらすじを終えて本筋が始まればよいのだけれど、これはあるいはあとがきかもしれないな、とモニタの前のあなたはつぶやく。