子供の頃、厳密には小学生の頃、学校というものはやたらと禁止されていることが多くて、ある種縛りプレイじみた遊び方を強いられる場だったような気がする。
不要物と称され、多くの遊び道具は持ち込みを固く取り締まられ、児童たちはそういった圧政と日々奮闘を繰り広げていた。
その過酷な環境の中でメシア的存在がいたことを思い出す。
バトルエンピツはなんといっても鉛筆である。
文房具であることはもちろんのこと、その中でもひときわメジャーな鉛筆だ。
私の通っていた小学校では*1シャープペンシルがなぜか禁止されていた。ロケット鉛筆なるものも同様に取り締まりの対象とされていた。
そういった中でバトエンは読んで字のごとく救世主たる存在であった。
同時にやり手のハスラーの様にグレーでアウトローな存在でもあった。
児童たちは教師の目を憚ることなく、堂々と貴重な室内あそびを満喫できるわけだが、ここで一つ問題が浮上する。
「バトルエンピツ削りたくない問題」である。
バトルエンピツはその性質ゆえ鉛筆として長く使用すると、表記が視認できなくなり、その遊び道具としての役割を失う。
なので、バトエンを普通の鉛筆同様に使っていると貴重な遊具がもはや遊具で無くなってしまうのである。
加えて、バトエンを削りたくない一番の理由は、なんといっても綺麗な状態を維持したいからである。
教科書や参考書ならともかく、お気に入りのマンガや小説に赤ペンで線を引いたりドッグイアを用いたりするのは躊躇われるだろう*2。
それと同じ事を児童は思うのだ。
しかし、しかしだ。
削ってない鉛筆は不要物なのでは?
当然、教師もこのことをやすやすと看過してくれはしない。
予備に削ってないのだと主張する者。泣く泣くバトエンを削る者。もはや他の不要物と同様隠れて遊ぶ者。
これは一種の冷戦であった。
そしてこの冷戦が終焉を迎えるのは、児童のゆるやかな興味の移行が大きな要因となる。
結局のところ明確な法が制定されるまでもなく、その時代は幕を閉じることとなったのだ。
歴史の闇の中に葬られたバトルエンピツ。私はかの英雄のことを忘れない。