卑怯についての話(+記事の書き方の練習)

最近、ということもないが、折にふれて自分は卑怯者だと思う。

分かりやすく迷惑を撒きちらす性格ではない*1とは思うが、どこか狡いような、そんなあり方で、だからこそよりたちが悪いのではと。

そこで少し、卑怯ってなんだってことについて考えてみた。

 

辞書で引いた言葉の意味は以下のようだ。

卑怯

[名・形動]《本来は「比興」で「卑怯」は当て字か》勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。また、そのさま。

――goo辞書より

 (引用の使い方あってる?)

 

辞書で綴られている字義と、私の解釈が一致するかどうかはわからないが以下に自分の思う“卑怯”を述べようと思う。

 

卑怯とはつまり、自分可愛さを意識的あるいは無意識に重要視し、それでいてそれを隠そうとする習性のようなものだと思うのだ。

 

非難されたくない。悪者にされたくない。正しくありたい。

 

そういった自分を中心とした考えを何かで覆って、さもよい人間であろうかのように、あるいはよい人間とまではいかずとも、マシな人間であろうと醜くあがくことなのではと。

 

何かあればとりあえずの謝罪を軽々と口にし、懺悔をひけらかす。

ときに良くないことをするけれど、それに自覚的だと心のなかで主張する。葛藤している自分をどこか許そうとしている。

 

物事に真摯に向き合うことなく、かと言って開き直ることもしなければ居直りもしない。

あくまで自分は善良な、無辜の一個人であると。

 

そしてやはり自分はそれに大きく当てはまるような気がして、これはどうしたものかと頭を抱えるのだ。

しかしながら、こんなことを常々考えていては、それこそ前述した卑怯の体現だ。

 

つまりはこれについて何か解決を模索しようとするなら、行動で示すしかないのだろう。

何はともあれ今は、文章にすることでささやかな戒めとしておきたい。

 記事のタイトルで述べたようにこのブログに備わった機能のテストを兼ねたのだけれども、脚注の使い方、これ違う気がするな。

*1:もちろん頻繁にそういうことをしないというだけであって、必ずしも常にそうではない